ぶか~しゅか の ひとり言 (from:モスクワ)

ロシアは日本人にとっては知らないことが多い国。日本の考え方は100パーセント通じない国。でも見かたを変えれば、面白いことも多い国。ロシア人のなかで暮らす日本人の私が、見て感じたロシアをそのままに書いてみたいと思います。

仲間たち

昔からの友達エフゲニー(ジェーニャ)・スタセンコは、

画家であり、絵の教師としてずいぶん沢山の教え子を世に出した。

現在モスクワやパリで活躍している彼の弟子も多い。

 

今日はジェーニャのアトリエのある建物が壊されて新しくなるというので、

そのアトリエでパーティーがあった。

集まった者たち皆がジェーニャからチケットを買って、そのチケットでくじを引き、

それぞれが彼の描いた小さな絵をもらえるというゲームをやった。

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私の知り合いも何人か来ていたが、こんなに沢山の人が集まるとは思ってもいなかった。

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だが考えてみると、この建物が壊されて新しくなるということは、

ジェーニャのアトリエがなくなるということなのだ。

 

アトリエがなくなったら、

ジェーニャはどうやって暮らしていくのだろう。

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冗談交じりの楽しげな会話の中に、そんな話はひとつも出なかった。

 

ロシアでの今後の暮らしは、画家にとっては厳しいものになっていくだろう。

だけど、こういう昔からの気のいい仲間が居る限り、

お互い助け合って何とかやっていけるだろうと思いたい。

 

夜中0時をまわった空は、

不安な気持ちとは裏腹に、まるで白夜を思わせるように薄青く光って美しかった。

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追伸: 更新が頻繁にはできなくなっていますが、気長にお付き合いくださいね。

    

 

 

 

 

 

空回り

モスクワ郊外の町へ車で買い物に行ったときのことだ。

 

車を駐車するところがなくて探し回っていたとき、

あるスーパーの駐車場へ寄ったらやっぱり場所がない。

困って周りを見回していたら、

おじさんが近づいてきて、

「これから駐車場を離れるからあそこに車を止めるといい。」

と、自分の車が止まっているところを指差して場所を空けてくれた。

 

ロシアで! こんな親切を受けるとは思ってもいなかった。

 

そして空けてくれた場所へ私たちが車を移動しようとしたときだ。

 

横から急に1台の車が入ってきて、私たちの移動しようとしていた場所を横取りした!

 

あ~ぁ、やっぱりな~   ロシアだわ!

 

運転していた主人は、

「仕方ない。まぁ、いいよ。」

と、あっさり引き下がろうとした。

 

私は、

こんなめったにない親切を受けたことを無駄にしたくはなかった。

 

主人が止めるのも聞かず、私は外へ飛び出して叫んだ。

 

「ちょっと!私たちがここへ入ろうとしているのを見ていたでしょ!どうして横取りするの!」

 

かなりカ~~~っとなって言ってしまったが・・・

車からはいったいどんな人が降りてくるだろうと、

私は内心ドキドキしていた。

 

強面の男だったら・・・殴られないように少し離れていよう。

スキャンダラスな女の方が、ロシアは怖い・・・かも。

 

そんな思いが頭をよぎった。

 

だが、

降りてきたのは中年の太ったおじちゃん。

「1分だけだよ。」

なんて、笑いながら隣のお店のショーウインドーを覗きに行った。

 

私は仁王立ちになって、  

「ほんとうか?」

という顔で両腕を腰に当てておじちゃんの様子をじっと見ていた。

 

おじちゃんが言ったとおり、

本当に1分もかからずに戻ってくると、

「これで終わりだよ。すぐに場所を空けるから。」

と言って、また車に乗って行ってしまった。

 

私は覚悟していた気持ちにちょっと穴が開いたようになった。

いままで頭に描いていたロシアとまったく違ったロシアを見たようで、

気が抜けてしまった。

 

いや、

それとも私があまりにロシアに毒されて過激になってしまっていたのだろうか・・・。

 

「あのおやじ、入ってくるとき手を振りながらちょっとだけって合図してたよ。」

そう言って、主人は笑いながら車を駐車場に入れた。

 

それ、それを早く言いなさいよっ!

 

まったくの空回り。 私の気の強さだけが目だってしまった出来事だった。

 

帰りに駅のホームで電車を待っていたコーカサス系の恐ろしげなおじちゃんを隠し撮りした。

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ロシアにはいつだってこうゆうおじちゃんがいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシアのお墓

モスクワも暑い夏が続いている。

でも日本の蒸し暑い夏と比べると、

気温が30度あっても日陰に入れば暑さはしのげるので助かる。

 

週末は久しぶりに親戚一同が集まったので、

モスクワ郊外にある墓地へ皆でお参りに行くことになった。

 

今回は自分達の車があるからお墓まで行くのは結構楽だ。

 

以前、まだ私たちに車がなかった時、

初めてお墓参りしたときは、

夏のカンカン照りの中、

ひろ~いモスクワ郊外の道を埃にまみれになってテクテク歩いた。

 

そして、な~んにもない野っ原の向こうに ひろ~い森があって、

その森へつながる道を30分以上歩いてお墓の入り口へたどり着いた。

 

なんと!

ロシアのお墓は、ふか~い森の中にある。

いや、

森全体が墓地なのだ!

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森の中の墓地は、各家それぞれが勝手に墓の周りに柵を作っているから、

自分達の墓へたどりつくのに墓と墓の狭い柵の間を爪先立って通り抜け、

木々や藪の生えた小道は、

蜘蛛の巣を払いのけながら延々と歩いて墓地の奥へ入る。

 

あのときは主人が家の墓のある場所を忘れてしまい、

墓地の地図も忘れてきて、

森中の墓と墓の間を捜し歩き、

疲れ果て、

もう墓を見るのも嫌になった。

 

ロシアの墓は土葬が多い。

 

ソ連時代は殆どが土葬だったようだ。

現在は火葬することが義務とされている。

 

墓に立つロシア正教の十字架には、死者の写真が飾ってあって、

墓の前には生花ではなく、鮮やかな色の造花がリボンと一緒に飾られている。

十字架の前の土はこんもりと盛り上がっていて、

そこには死者が眠っている。

 

「おそらく夜は青い火(リン)が墓のまわりを飛び交っているのだろうな。」

と想像した。

 

私はここには絶対に入らない。

やはり日本の墓地か、あるいは海にまかれて魚のえさになるほうがいい。

 

深い森の中でやぶ蚊の大群にまかれながら朽ちるのは嫌だ~。

 

私がこんなことを思っているとは親戚の誰も知らない。

こっそり主人にだけ話して、骨と粉になっても一緒でいようと誓った。

 

 

 

モスクワの夏・・・あつい・・・

モスクワの夏は暑い・・・

だって家にはエアコンがないもの・・・

現在30度。

エアコンがある家はある程度お金がある家だ。

 

電気は前からメーターがついていたけど、

初めて水道にメーターをつけたときは、

このマンション中にとどろいていた水音が急に止まって、

皆が、少しずつ水を出すようになった。

 

ロシアでは夜の11時から電気代が安くなる。

だからどの階も夜の11時から洗濯機を使うので、

このマンションは夜がうるさい。

 

5月も末になって、学校が夏休みに入った。

モスクワは夜の11時まで明るいから、

外では子供たちがわいわいとはしゃいでいる。

その上大人も明るい夜を楽しんで、外の風にあたって散歩したり、

マンションの中庭でバーベキューをして乾杯したりするから、

モスクワの夜は賑やか過ぎる。

 

週末になると、近くのレストランでは打ち上げ花火が真夜中に上がる。

それに文句を言うような人はモスクワには一人も居ないので、

夏になると真夜中の打ち上げ花火は頻繁に行なわれるようになる。

 

レストランだけではなく、近所の子供たちもやり出すから、

「いったいロシア人はいつ寝てるんだ!」

と、

思う。

 

追伸: モスクワ郊外は空気もよく、

    外へ出なけりゃ部屋の中は涼しいので、ベラおばあちゃんのところへ行ってきます。

    このブログを読んでくださった方々、ありがとうございます。

    コメントへのお返事は3日か4日後になりますが、

    コメントをいただけるととても嬉しいです。

    どうぞよろしく。

 

 

 

 

モスクワ郊外にて

まだ私たちに車がなかった頃、

私と主人はモスクワ郊外の家まで電車に乗って行った。

あの頃の郊外へ行く電車は、クッションの付いていないベンチのような

硬い木でできた向かい合わせの座席で、

秋から冬の季節には、

車両にいたるところから隙間風が入るので私はひどく凍えた。

 

昼の早い時間に電車に乗ると、各駅ごとに小物を売る物売りがやってきて、

いろいろな品物を独特の口調で宣伝しながら各車両をまわっていた。

私はそれらの品物と、物売りの宣伝文句を注意しながら見て聞いて楽しんだものだ。

 

郊外へ行く電車には、アコーデオンやギターを弾きながらお金をもらう人々、

あるいは自分の置かれた境遇を

悲しそうに説明しながらお金をもらおうとする人々がまわってきた。

「外国人はケチが多い。」

と小声で罵られながら、私はその様々な人生模様を想像し、感じることができた。

 

あの頃の電車のチケットは、そんなに高くなかったように思う。

けれど多くの人々は、チケットを買わずに乗っていたようだ。

 

なぜなら、ある駅が近づくと、

前の車両から人々が次々に後ろの車両へ移動してきて、

その人々が後方の車両へ去った後に、

検札がやってきてチケットを持っているかどうか調べて回った。

検札が後方の車両へ行く頃には、

電車が止まった駅のホームを

後方の車両から一目散に前の車両へ駆けていく人々を見ることができた。

 

また電車を待つホームでは、

どこからか柵を乗り越えてホームへ入ってくる人を度々見かけた。

 

そして何より驚いたのは、電車が走り出す寸前に、

子供たちが電車の最後方へ飛びついて、車両に素手でつかまって乗っていく姿を見たときだ。

「なんて危ないことをしてるのかしら!」

と主人に叫ぶと、

 

「乗っているときより、降りるときの方が危ないんだ。

  電車が速度を落としたときに、ゆっくりと歩くように降りないと足を折ることがあるんだよ。」

 

主人は穏やかな口調で、なぜか薄笑いを浮かべながら答えた。

 

私たちが車でモスクワ郊外へ行くようになってからは、

冬に凍えることもなく便利だが、

私にとってのロシアでの新しい発見が少なくなってしまったようで、少し寂しい。

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ロシアの人々の挨拶のしかた

ロシアで見ていて楽しい光景がある。

それはロシアの人々の挨拶の仕方だ。

 

ロシア人の男同士だと お互いにがっちりと握手をする。

それは子供同士だって同じだ。

父親と息子でさえも会うと必ず握手をする。

タバーリッシ 「同志」

みたいな感じで握手をするのが見ていてなかなかいい。

 

女性同士だと、すっと寄って行って軽く抱き合い、

頬っぺたに お互いが口の端で軽くキスをする。

小さな女の子同士だって そうやって挨拶する。

 

中央アジアの人たちは、

身体を半分ずつ抱き合って、

男同士が頬っぺたにキスをしているのを見かけたことがある。

 

コーカサスの人たちは大声で名前を呼び合い、がしっと抱き合って、

お互いの背中を軽く叩き合い、ばふっばふっと頬にキスをし合ってから

握手をしていた。

 

とにかく会ったときの喜びを最大限に出し合って挨拶するのだ。

 

だが、私はどうもそれが苦手だ。

 

抱き合ったときにすぐに頬を寄せ合い、口の端でお互いの頬にキスをするというのが

十数年たっても一度もできたことがない。

 

昔、女性ばかりの職場に居たとき、

私が抱き合って挨拶しないことに不満を言われたことがあった。

 

私にとってみれば、

毎日顔をあわせているし、

お互いの仕事の仕方についての不満もあるから、

抱き合うなんて辛いものがあった。

できれば目も合わせずに

「おはよう。」だけで済ませたい人たちばかりだったからだ。

 

でも、不満を言われたからには抱き合って挨拶しないわけにはいかなかった。

 

「おはよう。」と言って手を広げ、

寄って行って、

ぎこちなく頬にキスをしたような

しないような挨拶を

私が初めてしたとき、

職場の仲間たちは、一斉ににこやかな表情になった。

 

「やればできるじゃない。そうやって挨拶しなきゃ。」

と、皆に言われた。

ロシアの人たちの性格が、それでなんとなくわかったような気がした。

 

単純に

スキンシップで、

毎日の不満は消えてしまうのかもしれないと思った。

 

そして男性と女性の場合は、お互いの関係がはっきりとわかる。

 

たとえば主人と昔の女友達が久しぶりに会った時などは、

その女友達が、

主人と昔どんなお付き合いをしていたのか、

まで、

わかるときがある。

 

あるとき、主人と久しぶりに会った女友達が、

主人と会った途端に主人に抱きつき、

頬っぺただけでなく、主人の顔を抱きかかえ、キスをするのを見たことがある。

妻の私でさえ、あんな挨拶はしないのに。

 

まぁ そういうところを見た後は、私は夜中まで主人とそのことについてしつこく話をする。

 

ロシア語に、男性名詞と女性名詞があって、

今日会っていたのが男性なのか女性なのかがわかるように、

ロシアでは、挨拶のしかただけでお互いの過去の関係までがわかってしまう。

 

そんなこともあるロシアは、とてもわかりやすい国なのだと思う。

 

 

戦勝記念日に思ったこと

5月9日は戦勝記念日だった。

この日は、テレビで朝から赤の広場で行なわれる軍事パレードを放送する。

この軍事パレードの最初の儀式、国防相が軍の各部隊にお祝いの挨拶をし、

それに答えて各部隊が戦勝記念日の「万歳!」、ロシア語で「ウラー」を叫ぶ。

私は、その「ウラー」を聞くのが好きだ。

赤の広場にこだまする「ウーラー」は圧巻で、

それを聞いていると「ロシアに居るんだな~」って漠然と感じる。

 

戦勝記念日は今年ですでに69回目を迎えた。

この日は赤の広場だけでなく、いろいろなところでお祝いの行事が行なわれる。

お祝いの行事といったって、いわゆるかしこまったものではなく、

公園で歌謡ショーが行なわれたり、ダンスの会があったりする。

とくにお年寄りたちが楽しそうに踊っているのが目に付く。

 

 

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主人の叔母さんでドイツ人の血をもつベラおばあちゃんは、

戦前から戦後にかけてスターリンの粛清で、

家屋は没収、

父親は射殺され、

5人姉妹と母親は牢獄を転々とさせられたあげく、

炭鉱での強制労働を強いられ、それでも生き抜いた。

現在生き残ったおばあちゃんには、毎年この日にお祝いの缶詰やお菓子が贈られる。

 

おばあちゃんは、いつも口の端でフッと笑いながら、

それらを見えない目で一つ一つ確かめて、

一番甘いお菓子を私にくれる。

 

ベラおばあちゃんの牢獄での8年間は、

おばあちゃんから話を聞くだけではわからない苦しみが沢山あったと思う。

だからこの日、

ベラおばあちゃんが戦勝記念日のパレードを見えないながらもテレビで聞いていたときに、

私はすこし驚いた。

 

ロシアという国がおばあちゃんを苦しめたのに、

どうして戦勝記念日のパレードを見る気持ちになるのだろう。

 

その質問に答えて、おばあちゃんはこう言った。

「この人たちが私を苦しめたわけではないからね。」

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愛国心と言う言葉について、

ロシアに住むようになって考えるようになった。

日本とロシアの政治動向にも前より注意して記事を読むようになった。

果たして私がべラおばあちゃんの立場だったら、ロシアを愛することができただろうか。

 

私の主人にもロシアの血はない。

でもロシアで育ったから、ロシア人なのだ。

ここで育ったから、ロシアの行く先を心配している。

私にとっても主人の国ロシアは、第2 の祖国になった。

だから写真のお年寄り達が楽しそうに踊っているような平和が常に続いて欲しいと願う。

 

おばあちゃんにもらった甘いお菓子はいつも心に残るほど甘い。

 

5月になって、モスクワの空にはツバメが飛び交っている。

あちこちで見かける訳のわからないわからないウォッカでの乾杯と雄叫びが

毎日のように見られる良い季節だ。

 

来年70周年を迎える戦勝記念日を ロシアはどんな状況で祝うことになるのだろう。

私は不安な気持ちで毎日ニュースを見ている。

 

ロシアの軍事パレード。ちょっと長いので、「ウーラー!」だけでも見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=pCe4LgTBkHo