ぶか~しゅか の ひとり言 (from:モスクワ)

ロシアは日本人にとっては知らないことが多い国。日本の考え方は100パーセント通じない国。でも見かたを変えれば、面白いことも多い国。ロシア人のなかで暮らす日本人の私が、見て感じたロシアをそのままに書いてみたいと思います。

春になると思い出す、あの旅の出来事・・・

春がくると思い出す出来事がある。

 

主人と知り合ってまもなく、ペレスラブリへ初めて2人で旅行したときのこと。

 

ペレスラブリはモスクワから北東へ140キロにある、小さな町。

ピョートル大帝が自分で作った船による船隊を浮かべたという美しい湖がある。

そこに彼(今の主人)の親しい友人が住んでいるというので、

1泊2日の予定でバスに乗って出かけた。

 

強くなった日差しを避けるためのカーテンもないおんぼろバスで、2時間半。

やっと着いたと思ったら、

「ここから少し歩くよ。」 と言われた。

 

ロシアの人たちの言う 「少し歩く」 というのは、

2キロか3キロ、あるいは5キロぐらいのことを言う。

 

あのときの私は、まだそのことがわかっていなかったから、

靴だってワーキングシューズではなかった。

東京育ちだったから、疲れたら、どこかお店で休めると思っていた。

 

歩き出してみると、

何にもない野原と、赤茶けた丘を延々と登って行かなくてはならないことがわかった。

それに気づいたときには、疲れが下っ腹をつついていることを感じて、

バス停でお手洗いを済ませてこなかったことが悔やまれた。

 

赤茶けた埃っぽい道がどこまでも丘の向こうへと続いている。

 

道の途中には、半分廃墟となった教会が、崩れたレンガの壁を日に照らしながら、

これから先の道には何もないということを私に教えてくれているようだった。

彼は崩れたレンガの壁を撫でながら、

「この教会は18世紀のものだよ。ほら、このレンガの作り方でわかるんだ。」

と、地質学で鍛えた知識を話し出した。

 

崩れた教会の中へ入り、

私は足の痛みを癒すために靴を脱いでひんやりとした石の上に足を置いた。

 これから先、あとどれくらい歩くのか。

 私はこの下っ腹の痛みを我慢しきれるだろうか・・・。

 

そんなことを考えているとは知らない彼は、

私もこの18世紀の教会の風貌に感慨を得ていると思い込んでいたようだ。

 

教会から200メートルくらい上ったところに小さな小屋が建っていて、

そこへ、どこからか子供達が駆け込んで行った。

 

あ、そうか。 

ここから村が始まるんだ。

 

村は、埃の立つ道の向こうに木の塀で覆われていた。

強い日差しの中、風で埃が立つから、村の家々がゆらゆらと蜃気楼のように見えた。

小さな小屋は食べ物を売っていたが、

そこで私達が買うものは何もなく、当然お手洗いもなかった。

 

がっかりして外へ出ると、いつのまにか真っ白な小さな子猫が私の足にまつわりついてきた。

「村の猫だろう。そのままにしときなさい。」

彼が目を細めて言った。

食べ物をあげたくても私には何もない。

ちょっとだけ頭を撫でて、また先を急いだ。

 

しかし、私の疲れと下っ腹の痛みは頂点に達してきていて、このままでは大変なことになる。

と、

意を決し、

私は彼にお腹の痛みを訴えた。

 

彼は驚いた様子もなく、

少し先の藪を指差して、

「あそこがいいんじゃないかな。あそこなら道からは見えないよ。」

と、落ち着いた声で答えた。

 

私は、

 恋人との初めての旅行で、

 しかも恋人の前で、

 野っ原の藪のなかで、

 しゃがむことになるのか・・・。

 

そのときの絶望感は書き表すことも出来ないくらいのものだった。

 

それでも藪へ入ってしゃがむと、

・・・

お腹の痛みはすっきりと去って、

・・・

私の頭の上ではひばりが鳴いているのに気がついた。

 

こっそり頭を上げて、

彼はどこかと探すと、

向こうの方で景色を眺めながら道端に立っている。

 

何と言ったらいいのか迷いながら、

藪を離れ、

振り返ると、

私のしゃがんでいたところにあの白い子猫が居て、

そこに鼻を寄せて ミャッと顔を歪めた。

 

空はどこまでも青くて、 風が 気持ちよかった。

 

彼は、

「どう。大丈夫かい?」

と訊いて、また2人で歩き出した。

 

村がとぎれるところで、

私達の後をついてきた白い子猫が急にミャ~ッ!と強く鳴きだした。

 

振り返ると、丘の下からずうっと歩いてきた道が長く長く延びていて、

こんなに遠くまで2人で歩いてきたのだと思ったものだ。

 

白い子猫はいつまでも鳴いていたけれど、連れて帰ることはできなかった。

 

あの旅で、私はこれからの人生を彼と一緒に歩いていこうと決めたように思う。

 

旅の帰りに寄ったピョートル大帝が船を浮かべた湖は、

いままでに見たことがないくらい美しく、

清らかな水をたたえて日差しの中にキラキラと輝いていた。

そして、

私の中で何かが変わったような気がして、2人で湖畔にしばらく立っていたことを

あの美しい景色と共に思い出す。