ぶか~しゅか の ひとり言 (from:モスクワ)

ロシアは日本人にとっては知らないことが多い国。日本の考え方は100パーセント通じない国。でも見かたを変えれば、面白いことも多い国。ロシア人のなかで暮らす日本人の私が、見て感じたロシアをそのままに書いてみたいと思います。

昔、ドストエフスキーを読む決心をしたときのこと・・・

まだロシア語を学んでいなかったときのこと。

母がロシア文学の愛読者で、ドストエフスキーを読んでいない私に、

「教養が足りない」というので、

母のもっていたドストエフスキーの本(和訳)の中から一番薄い本を選んで、

美容院でパーマをかける間に読んでしまおうと決心して出かけた。

 

その本は、『地下室の手記』。

 

 自意識過剰な小官吏の男は、遠い親戚が遺産を残してくれたことから仕事を辞めて

 社会との関係を絶ち、地下室にこもって手記を書き始める。

 社会に溶け込めずにいる男は、

 一般社会の非合理性を手記の中に書き綴っていく。

 

私はこの内容を知らずにこの本を選んでしまった。

 

美容院で髪の毛を引っ張られ、ロールを頭にいっぱい巻かれ、

化学薬品の臭いのする液をかけられて、

さらにそれを乾かすのにヒーターをかけられ、

頭がカーッと熱くなる中で、

悶々としながら手記を書き続ける男の叫びを

延々と読んでいかなくてはならなかった。

 

頭がさらに熱くなる中で、小説を読みながら

私は心の中で叫びだしていた。

 

「外へ出て誰かと話をするべきだ!地下室から外へ出ろ!」

 

頭は熱いし、主人公はなかなか外へ出ずに、

極端な自意識過剰の自分の見方をねちねちと書き綴っていく。

 

あ~もうだめだ。

 

私が真っ赤な顔をして苦しそうにしているので、

美容院の人が心配して冷たい飲み物を持ってきてくれた。

 

そして、私はそれ以上読むことをやめた。

 

家に帰って、母にその話をすると、

「主人公は最後には外へ出るわよ。」

と言われた。

 

 

最後まで読めなかった自分が情けなかったけど、

今思えば、あの頃の自分は小説の主人公のように自意識過剰なところがあって、

主人公の物の見方、考え方に自分を見るような気がして

かえって苛ついたのではないかと思う。

 

ロシア語を始めてからも、ドストエフスキーの作品というと、

あのときの苦しさが思い出されて、読むのをさけていた。

しかし沼野充義先生が、

「ドストエフスキーを読めない人はロシア語を本当に勉強していない人」

と、

確か新聞に書いていらっしゃった。

と、

母に言われてから、

ドストエフスキーの作品を読むことが私の課題のようになっている。

 

追伸: 今日は金曜日。モスクワ郊外へ出かけます。

    モスクワ郊外の家にはインターネットがないので、

    皆さんのブログを読むことができません。月曜日には戻ります。

    このブログをのぞいて下さった方々、ありがとうございます。