ぶか~しゅか の ひとり言 (from:モスクワ)

ロシアは日本人にとっては知らないことが多い国。日本の考え方は100パーセント通じない国。でも見かたを変えれば、面白いことも多い国。ロシア人のなかで暮らす日本人の私が、見て感じたロシアをそのままに書いてみたいと思います。

ロシアで籍を入れるのに1年近くかかったこと・・・その4

私たちが結婚届けを出そうと決心してからすでに5ヶ月がたった。

最初に行った結婚登録所の移転から数えて、役所へはすでに4度も足を運んでいた。

最後に残ったのはパスポートの翻訳だけ。

 

あと一歩だ。

 

そう自分に言い聞かせて、

登録が受け入れられなかった役所の帰りに

パスポートの翻訳を頼むため公証人役場へ行った。

 

そこでわかったことがある。

 

公証人役場の女性が私のパスポートを見てつぶやいた。

「このパスポート、

あと半年ちょっとで期限が切れるでしょ。翻訳しても受け入れられないかもしれないですね。」

 

えっ?

 

頭の中が一瞬、からっぽになった気がした。

 

気が付かなかった・・・。

 

突然の問題が起こったとき、

その問題の解決策をどんな時でも冷静になって考えなくてはならない。

そういうことが ロシアでは度々要求される。

 

こういうときに パニックに陥ってはいけないと思う。

 

でも、私はとても疲れていた。

 

いま冷静になって考えてみると、

在ロシア日本国大使館でパスポートの更新はできたはずだ。

だが このときの私の頭の中は、パニックの嵐が吹き荒れていたから、

ロシアでもできるパスポートの更新を思いつくことができなかった。

 

もう どうでもいいや!

 

と、やけっぱちになった。

 

夏のロシアで、結婚登録のために朝から駆け回っているなんて・・・。

 

周りは夏のバカンスで皆どこかへ避暑に行っている。

モスクワの人口だって減っている時期なのに・・・。

 

ということで、

 

私たちは結婚届けのために やっきになるのはやめた。

 

夏は休暇をとってバカンスだっ!

 

そう思ったら、気分が晴れた。

 

結婚届は私が次にロシアへ来るときに 新しいパスポートでやればいい。

 

頭から、その手続きのことはいっさい拭い去り、

夏の旅行計画へ頭を切り替えた。

 

そうしてその夏は何事もなかったかのように ロシアの短い夏を楽しんだ。(つづく)

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ロシアで籍を入れるのに1年近くかかったこと・・・その3

日本へ戻った私は、役所で必要な書類を集めた。

私についての証明書(戸籍謄本、住民票)を役所で取り、

彼からもらった招待状(ロシアのビザを得るためにはかかせないもの)を持って

狸穴(まみあな)の(在日)ロシア大使館へ行った。

 

ロシア大使館の周りは、日本の警察がいつも厳重に警備している。

 

そしてその入り口を1歩入れば、そこは もうロシアである。

 

受付終了の12時半になると、どんなに人が待っていようと扉は閉められ追い出される。

それを申請所の門の前で警備する日本の警察官の方が心配して、

申請を終えて出てきた私に尋ねた。

 

「中にはまだ沢山待っている方がおられますか? もう12時半ですからね。

皆さん申請できますかね。」

 

こういう風に他人の身になって考えられる人が居るのが日本の良いところだと思う。

これはロシアの人々に是非見習って欲しいことだ。

 

あの頃は、ビザを無料で受け取るには3週間から1ヶ月という期間が必要だったと記憶している。

私は3ヶ月の予定で日本へ戻り、仕事に励んだ。

 

国際結婚というのはお金がかかる。

往復の飛行機のチケットだって、ヨーロッパへ行くよりモスクワへ行くほうが高いのだ。

モスクワへの往復はいつもアエロフロートを使っている。

成田エアポート行きのリムジンバスには朝早く乗るから、、

私は飛行機の中でぐっすり寝込むことになる。

飛行機では、必ず通路側に席を取るので、

寝むり込んで通路側に垂れた私の頭は

アエロフロートのスチュワーデスさんの大きなお尻でぼんぼんはじかれ、

私はその時点からロシアへ戻ることを身をもって感じる。

 

現在のシェレメチェボ空港は何棟もの新しいターミナルができて立派になったが、

あの頃は国際空港にしてはやけに薄暗く、みすぼらしいものだった。

だからシェレメチェボ空港に降り立ったときから、

「全てはこんなものだ。」

と、日本の綺麗な建物と便利さに慣れた頭を切り替えなければならなかった。

 

感じのよくないパスポートコントロールを通り、

放り投げられて汚くなったスーツケースを受け取り、

荷物が多いと

開けて調べようと手ぐすね引いて待ち構えている税関の目の前を

しら~っとした顔で通り抜け、到着ロビーの出口を出る。

とそこに、

嬉しそうな顔で走り寄ってくる彼が居た。

 

そんな彼を見るたびに、

私が好きになった人が育った国だもの、もっと良い方に理解しなくてはいけない。

と、思ったものだ。

 

日本から持ってくる書類はそろった。

あとはそれをナタリウス(公証人)にロシア語に翻訳してもらわなければならなかった。

これが結構高くついた。

1週間後にできてきた翻訳は間違いが多く、その間違いについて、

ナタリウスは一切謝らない。

それでさらに1週間待つことになった。

その間に在ロシア日本大使館へ行き、婚姻要件具備証明書というのをもらってきた。

 

さぁ書類は全て揃った。

朝5時に起きてメトロの駅から結婚登録所役場までてくてく歩き、

8時に役場の門が開くまで外で2時間待った。

季節はすでに夏。

7月のロシアは暑い。

でも水は飲まないで来た。だってお手洗いが使えないのだから。

日差しが強く、肌が痛くなるくらいやけた。

3月の寒かったときと違って、また別の意味で辛かった。

 

揃えた書類に目を通す女性職員は非常に冷たい事務的な態度で私たちを迎え入れ、

書類に間違いがないかどうかを丹念に調べた。

書類に全て目を通すと、

「パスポートの翻訳はどうしたの?」

ときいた。

 

パスポートの翻訳?

そんなこと言ってなかったじゃない。

 

彼が、

「パスポートは各国で翻訳しなくてすむように英語表記がされている。」

と言うと、

女性職員はしらけた顔で、

「ここはロシアよ。ロシア語に翻訳するのはあたりまえのことでしょ。」

と答えた。

彼が、

「この間質問に来たときはパスポートの翻訳については何も言ってなかった。」

と言うと、

「それは私の責任じゃないわ。私はあなた達に会うのは初めてですから。」

とのたまわった。

 

もう少し言いようがあるんじゃないか?!

 

私はぶち切れそうになったが、ぶち切れてもしょうがないことはわかっていたので、

歯をくいしばって我慢した。

 

だってここは結婚登録所なのだから。

 

すでに3回目の結婚登録所訪問だったが、

結局この日も結婚登録は受け入れられなかった。

彼はがっかりしている私をカフェに誘い、

ふんぱつしてカフェラテをご馳走してくれた。

甘いはずのカフェラテもこの日は何だか苦く感じた。(つづく)

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ロシアで籍を入れるのに1年近くかかったこと・・・その2

ロシアでは、結婚する年齢が非常に早く、またすぐに離婚する人たちも非常に多い。 

それは結婚届を出す扉と、離婚届を出す扉の前の長蛇の列を見ればわかる。

 

結婚届を出す部屋と、離婚届を出す部屋は、役所の建物の左右にわかれて存在する。

それはロシアの役所が 使う側のことを考えて、唯一配慮した設置だと思う。

 

ロシアでは、結婚するにしても離婚するにしても、

役所に届け出を出してから1ヶ月間、 書類は保留される。

1ヵ月後、役所が決めた日の定められた時間に、再び2人で役所へ出向き、

その時点で結婚か離婚を正式に決める。

 

それは保留期間の1ヶ月の間に気持ちが変わるカップルが多いからだ。

 

さて私たちはどうだったかというと、

ひとつ問題があった。

 

私のロシア滞在ビザがすでに1ヶ月を切っていたからだ。

 

今度日本へ戻るときには彼と正式に籍を入れて帰れる

と私は信じていたから、

かなり気持ちが落ち込んだ。

 

こ~んなに大変だということを

彼はなぜ前もって言わなかったのか。

 

「前もって言えば、もっと苛ついたでしょ。」

という答えが返ってきた。

 

そうかもしれない・・・。

 

しかし、私たちはまだ結婚届の扉までも行きつけていなかった。

あの扉を開けて、

「結婚したいのですが、どういう書類が必要でしょうか?」

と訊くこともできていなかった。

 

そのために

私たちは朝5時に起きて、3月のまだ雪の残った寒い道をてくてく歩き、

閉まっている役所の門の前で、

2時間も立って凍えながら門が開くのを待つことにした。

 

だがもっと驚いたのは、

こ~んなに早く来るのは私たちだけ、と思っていたのに、

もっと早く来ていたカップルがいた。

 

私たちの順番は、結局2番目ということになった。

 

雪の中で2時間立っているというのはどんなに辛いことかわかるだろうか。

 

凍死しそうになるくらい寒いのだ。

だから私はマフラーを2重に巻き、だぶだぶのズボンの下にステテコを2枚はいて、

結婚届を出しに行くカップルにはまったく見えない格好をしていた。

 

当然お手洗いのないことを考えて、朝は水を飲まなかった。

 

朝8時ちょっと前、警備員が門を開けた。

役所の扉は職員が来ないと開けてくれないようだ。

8時を少しまわったところで、やっと職員の女性たちがゆっくりとした足取りでやってきた。

雪の中に立っている私たちを見ると怪訝そうな顔を見せた。

彼ともう一人のカップルの男性が、

「僕たち早く結婚したいんですよ!」

とおどけたように叫んだ。

すると女性職員は、

「そんなに急いでどうするの。」

と、フッと笑って建物の中へ入っていった。

 

「なんだそれっ!」

 

私はそのとき心の中で叫んだような気がする。

 

ロシアの役場で、感じの良い女性は残念ながら非常に少ない。

男性が少ない国だからか、

どこもかしこも無愛想な女性職員が多い。

 

結婚届を出すにも

こ~んなにも我慢が必要だとは、思ってもいなかった。

 

笑顔はなく、、

ロボットのように表情もなく話す職員は、ロシアでしか見ることはできないと思う。

その冷たさに、私はこれから何度耐えなくてはならないのか・・・。

 

とんでもない国に嫁に行くのかもしれないと、思いだしたのだった。

 

さてこの日、私たちは結婚届をする扉を開け、

やっぱり無愛想な女性職員から結婚届に必要な書類を詳しく聞きだし、メモすることができた。

私のビザが1ヶ月を切っていることから、当然日本へ戻らなくてはならなかった。

そして、今度日本から戻ってきたら、

 

いよいよ結婚届だ!

 

それを楽しみに

またロシアへ戻ってこよう。

と、

私はまだ本当のロシアを知らないまま日本へ戻ることになった。(つづく)

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ロシアで籍を入れるのに1年近くかかったこと・・・その1

私たちが結婚登録所(ザックス)へ最初に行ったのはもう十何年以上前の

確か3月の初めだった。

 

ロシアでは、

外国人と結婚する場合の結婚登録所No.XXという指定された登録所へ行って手続きをし、

結婚届の書類をもらい、

さらに公印確認・アポスティーユ(外務省の証明)をつける。

そしてロシア人側 (夫か、妻) のパスポートには誰といつ結婚したか、という判を押してもらう。

 

手続きはそんなに簡単ではない。

 

私は初婚だったから、手続きにそんなに時間がかかるとは思ってもいなかった。

 

モスクワで外国人との結婚登録をする場所は、その頃は1箇所しかなかった。

インターネットで場所を調べると、地下鉄の駅からは程遠いところだったので、

3月の雪解けで泥だらけの道を

脇を通る車に真っ黒な雪を跳ね上げられながら、2人で長いことテクテク歩いた。

 

結婚登録所のサイトに書かれていた場所へ着いてみると、

大きな門は閉まっていて、その真ん中に小さな張り紙がしてあり、

”結婚登録所No.XXは次の場所へ移動した。”

と書かれていた。

 

なぜ張り紙をする前にサイトにきちんと書いてくれないの!

 

彼は困った顔で、

「移動したところはここからは相当遠いから、また日を改めてくることにしようか。

ロシアではね、物事は1回ではすまないんだ。

と言った。

私が不満そうな顔で彼を見返すと、

「これはね 神様が僕達の愛情を本当のものなのか調べるために試練を与えていると思わない?」

と私の顔をちらちら見ながらつぶやいた。

 

普段は神様なんて信じていないくせに・・・。

 

そうして、私たちは仕方なく何もできずに家へ戻った。

 

結局インターネットでは調べようがないので、

張り紙に小さく書いてあった電話番号へ電話することにした。

受話器を取った愛想のない、やる気のない声の女性から場所をきいて、

一週間後、教えられた場所へ2人で行った。

 

結婚登録所No.XXはそこにあった。

 

中には結婚届の扉離婚届の扉があって、その前にはどちらも長蛇の列ができていて、

すぐに今日一日では結婚届の扉までたどりつけないことがわかった。

 

ロシアで辛いのは、お手洗いが少なく、汚いこと。

そしてたとえ役所であっても、お手洗いはそこで働く人のためで、鍵がかけられていて使えない。

まだ寒い3月に、やはり地下鉄から遠いこの結婚登録所にやって来たのに、

お手洗いもないのは辛いものがあった。

結婚登録をするというのは、嬉しく、楽しいことではないのか?

 

はっきり言って、このとき私はとても辛かった。

 

本当に神様が私たちを試しているような気がしたくらいだ。

 

結局この日も結婚登録の扉には行き着けなかった。

 

だがしかし、彼はやはりロシア人だった。

列に並んでいる間に行列の人たちから様々なインフォメーションを得て、

結婚届にはどういう書類が必要なのかをメモしていた。

 

一方私は、お手洗いを我慢するのに限界が来ていて、

早くここから出たいと彼に懇願していた。

 

そしてその日は結婚登録所のそばにあった安いカフェに入り、

お手洗いをすませ、まずい珈琲を飲み、払いたくもないチップを払い、

予想外の支出に、私は不機嫌な気持ちを押し殺しながら家路へついた。

 

彼は

といえば、私の機嫌の悪さを察知しながらも

「この次はもう少し早く来ようね。」

と困ったような笑みを浮かべていた。(つづく)

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あぁロシア・・・

ロシアでは、どういうときでもどういう場所でも自分のことは自分で守らなければならない。

 

私が思うに、ロシアは あまりに広すぎて、歴史の変化が極端すぎて、

いまだに人には優しくできない国なのだ。

 

たとえば道路工事で歩道を歩けないことがある。

そんなとき、日本であれば警備の人が注意しながら歩道以外の場所を指し示して

どこを通ればいいのか教えてくれる。

 

だがロシアの場合は、工事現場に綱も張っておらず、

歩行者自身が歩ける道を見つけて回り道しなくてはならない。

最近では、かろうじて別の道をつける工事現場も見られるようになってはきたが・・・。

 

信号について言えば、広い道路を横切るのに、

青信号がついているのはたったの30秒~40秒だけなのだ。

冬に、凍った道路をたった30秒で渡るのは、

氷の道に慣れたロシア人であっても大変だと思う。

だから道路の真ん中に立って 信号がまたかわるのを待っている人をよく見かける。

 

ロシアでは、信号を守って横断歩道を渡る人が少ない。

車がとぎれたときを見計らって、横断歩道でなくても渡ってしまうのがロシア式で、

私はそれに慣れることができないでいる。

 

地下鉄では、扉は乗務員が混雑を見ながらボタンを押して閉めると聞いた。

しかし環状線の混雑で私が見たのは、

人々がまだ乗り込んでいるのに扉が閉まり出し、

 

「電車はもう発車する時間だ。扉を閉めるから後ろに下がれ。次の電車にしろ。」

 

と、感情のない声でアナウンスが流れた。

 

しかし、人に優しくない状況で育ったロシアの人々は、そんなことでは引き下がらない。

皆で扉をしっかりと押さえ、次々に乗り込んでいく。

 

するとイライラした声で、またアナウンスが流れた。

 

「扉を押さえるな!電車は発車する!次の電車に乗れ!いいかげんにしろ!」

 

扉は何度もババ~ンッババ~ンッ!と閉められ、あきらめた人々がホームに残った。

 

だがそんな状況の中、扉で怪我をした人を私はまだ一度も見たことがない。

 

ロシアで、人が優先ということはあるのだろうかと思う。

 

信号はなかなか青にならず、また青になっても

人が渡るにはあまりに短い時間しか与えられない。

そういうことに対してロシアの人々は気が短いから、

たとえ老人であっても、自分の意思を通して道路を渡る。

 

ある日、4車線の道路で長いこと信号がかわるのを待っていた老人が、

信号を操作している警官に向かって杖を振り上げながら怒り出した。

 

「おまえら警官はいったい何を考えてる!こんなに長いこと待てるか!わしはこれ以上待てないぞ!」

 

と叫んで、老人は杖をつきながら車の行きかう4車線の道路を渡りだした。

信号を操作していた交通警官は、ご老人の剣幕に押されて何も言えず、何もしなかった。

 

道路を行きかう車は、老人の前で次々と止まった。

運転手たちは苦笑いを浮かべていた。

老人は何かを叫びながらも広い道路を渡りきって、

向こう側から再び警官に向かって何かを叫び、去っていった。

 

ロシアでは、老人パワーがすごい。

 

ご老人たちは、自分たちがこの国を支えてきたと堂々と言い切る。

 

私も  確かにそうなのだと思うのだ。

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7月17日のニュース

7月17日のマレーシア航空機の大惨事をロシアのニュースで知った。

あまりにも悲惨な画像で、瞬きもできないくらいショックだった。

 

ロシアに居る私は、クリミア問題でも、今回の大惨事でも、

戦争が起きていることを身近に感じて、

ブログを以前のようには書けないでいる。

 

今回の大惨事で犠牲になった方々に深く哀悼の意を捧げます。

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買い物で・・・

 

一人で買い物に出ても、ロシアでは、かならず誰かしらと会話をすることになる。

 

たとえば私がきゅうりを選んでいたら、

知らないおばさんが隣に来て、やっぱりきゅうりを選び出した。

そしてこちらを見るでもなく話しかけた。

 

おばさん: 「いいのがないのかい?」

私:  「ないですね。」

おばさん:  「ま、しかたないさ。適当なのを選んで買うさ。多少いたんでいたって、

                     塩漬けにすればいいんだよ。 あんた、塩漬けの仕方知ってるの?」

私: 「いえ・・・知りません。」

おばさん:  「ま、塩漬けの仕方も知らないの!あんたいったいどこから来たの?」

 

結局おばさんは、私がどこの国の人間かが知りたかったようだ。

 

そして、乳製品売り場で私が牛乳を選んでいると、

隣にいたおじさんが牛乳の選び方を教えてくれた。

 

おじさん:「このマラコー(牛乳)はベラルーシのものだからね。本当の牛乳だ。

                  粉から作ったものじゃないんだよ。日持ちはしないがね。いい牛乳だよ。

                  すっぱくなってきたらプロスタクワーシャ(ヨーグルトの一種)にすればいい。」

 

ロシアでは生牛乳が酸っぱくなってくると、

それを捨てずに瓶のふたを開けたまま冷蔵庫には入れずにしばらく置いておく。

すると半日で、すっぱ味の少ないヨーグルトができる。

これはトロンとしてなかなか美味しい。

このヨーグルトのことをプロスタクワーシャという。

 

次に私がお菓子を選んでいると、横に居たおばさんが話しかけた。

 

おばさん:「あんたいいお菓子を選ぶじゃないの! たいしたもんだ。

                  美味しいお菓子を知ってるじゃないか。甘いものが好きなんだろ。」

 

こういうとき、私はなんと言ったらいいのか答えに困る。

ロシアの人々は素朴な性格で、なんでも開けっぴろげにものを言う。

人を気に入ると、話は どこまでも いつまでも続く。

 

今日も1時間で買い物をすませるつもりが、これらの会話のおかげで2時間もかかってしまった。

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